チャイルドフリーで生きる

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夫の検査、私の検査… その2

こんにちは。緑かおるです。
前回の続きです。

手術の日がやってきました

夫の仕事の関係で、すぐには入院できず、
初診から3ヶ月後に入院・翌日手術・3日目に退院ということになりました。

入院までの3ヶ月、毎日毎日、両親の仏壇に手を合わせました。

夫の手術が無事に終わりますように。
精子が1匹でもいますように。

 

手術当日。
ありがたいことに、親友が家族待機に付き合ってくれました。

「じゃ、行ってくるね」
と笑顔で手術室へ歩いて入っていった夫。
「頑張ってね。てか、頑張るのは先生か」
と笑って見送った私。

ふと隣を見ると、一緒にいてくれた親友が泣きそうになっていました。
親友の頭の中に『アルマゲドン』のテーマ曲が流れていたそうです。

夫の手術は5時間かかりました。

麻酔が完全に切れていない中、ベッドに乗せられて病室に戻ってきた夫。
夫に声をかける前に、先生に別室に呼ばれました。

頑張った夫、無事に帰ってきた夫をちらりと見て、
私の心の中がザワザワし始めました。


夫があんなに頑張ったんだから、1匹ぐらいはいるはず。
毎日、仏壇にお祈りしたんだから1匹ぐらいはいるはず。
いるはず。いるはず。いるはず。



しかし、結果は
精子、見つかりませんでした。」
そう先生に告げられました。

精巣の中の全ての管を開いて調べたけれども見つからなかった、とのことでした。
ただ、さらに詳しい病理検査をしているとのことで、
退院後に改めて受診し、その結果を聞くことになりました。

病室に戻ると、夫はだいぶ麻酔から目が覚めてきたようで
「ただいま。喉渇いた。水ちょうだい」
と言い、結果を尋ねてはきませんでした。

それを良いことに、私も結果は告げませんでした。

 

その日、
家に帰って泣きました。
ただただ、ただただ泣きました。

 

今思うと不思議なんですが、
子どもはいらない、と決めていたはずなのに、
崖から突き落とされたような絶望感に支配されていました。

 

そして、夫は翌日「痛い、痛い」と心が弱った状態のためパジャマのまま退院し、
自分の傷口を見ては「傷物になった」と落ち込み、
(昔の大病で既に体のあちこちに手術などの傷跡が大量にあるんですけどね)

その後も「シャワー入りたいけど、しみるかもしれない。痛くなるのやだ」
と大騒ぎし、

「先生からシャワー入って大丈夫っていわれたじゃん。」
と私が宥めながらシャワーを浴びせると
「ちょっと痛い。傷口開いたかもしれない」と怯え、

「じゃ、傷口見てあげるから」と言えば
「傷口見たら、かおる倒れちゃう。そしたら俺どうしたらいいの」と不安がり、
ひたすら怖い怖いと言って
2~3日で復帰できるところ、2週間ほど仕事を休みました。

のろけではないのですが、
夫は常に冷静沈着で物事に動じず、状況判断が早い性格なので、
こんなに弱っている夫を見たのは初めてで、
男性にとって、睾丸の手術とは大変つらい事なんだな、と知りました。

でも、その大騒ぎが私の心を少し救ってくれたような気がします。
検査の結果を聞きにいくまでの束の間の安息でした。

次回は、夫が手術を受けるまでの間に私が受けた検査について書きたいと思います。