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子どもがいない人々が生きやすい社会へ

夫の検査、私の検査… その3

こんにちは。緑かおるです。
今回は私が受けた検査についてです。

不妊検査って意外と面倒

夫が受診した病院から紹介を受けて、提携の婦人科を受診しました。
その婦人科は男性不妊・人工授精・体外受精・顕微授精の専門病院で、
全国各地から患者さんが来ていました。

病院の入り口にはデカデカと
「お子様を連れての受診は、ご遠慮ください」
と書かれていました。

そのくらい不妊治療はナーバスで繊細なものです。
不妊治療を続けていた時、その配慮はとても嬉しく思いました。


今の私は、「妊活」と「不妊治療」って似て非なるものだと思っています。
その話は後日、書きたいと思います。

さて、そこでは、私が不妊かどうかの検査をしました。

検査内容は、

ホルモン検査
クラミジア検査
感染症検査
子宮頸がん検査
風疹抗体検査
内診

その中でもホルモン検査が厄介で、
高温期の検査
低温期の検査
排卵期の検査
生理2日目の検査
と、その都度検査に通いました。

特に生理2日目の検査が嫌でしたね。
出血量が多い時の内診なので、
下着の脱ぎ着の最中に出血するんじゃないかとハラハラしました。
しかも診察室ではナプキンの取り換えも出来なかったので嫌な思い出です。

 

卵管に詰まりがないかどうか調べる卵管造影剤検査は、
夫の検査結果が出てから行うことになりました。

 

それから、夫の手術が終わるまで毎日、
基礎体温を記録するよう指導がありました。

人生初の基礎体温測定。
30歳を過ぎているのに、やり方がわからない。

妊娠に関し、無頓着に生きてきたことを知った瞬間でした。

そして検査の結果は、多のう胞卵巣だけれども異常なし。
いつでも体外受精ができる状態だと言われました。

 

へ?しょっぱなから体外受精

 

と思ったら、我が家の場合は男性不妊なので、
治療は体外受精か顕微授精になるとのことでした。

そして全ての検査が終わり、治療の方針・料金について詳しい説明を受け、
私の検査はあっという間に終わりました。

次回は、不妊治療の料金について書きたいと思います。

夫の検査、私の検査… その2

こんにちは。緑かおるです。
前回の続きです。

手術の日がやってきました

夫の仕事の関係で、すぐには入院できず、
初診から3ヶ月後に入院・翌日手術・3日目に退院ということになりました。

入院までの3ヶ月、毎日毎日、両親の仏壇に手を合わせました。

夫の手術が無事に終わりますように。
精子が1匹でもいますように。

 

手術当日。
ありがたいことに、親友が家族待機に付き合ってくれました。

「じゃ、行ってくるね」
と笑顔で手術室へ歩いて入っていった夫。
「頑張ってね。てか、頑張るのは先生か」
と笑って見送った私。

ふと隣を見ると、一緒にいてくれた親友が泣きそうになっていました。
親友の頭の中に『アルマゲドン』のテーマ曲が流れていたそうです。

夫の手術は5時間かかりました。

麻酔が完全に切れていない中、ベッドに乗せられて病室に戻ってきた夫。
夫に声をかける前に、先生に別室に呼ばれました。

頑張った夫、無事に帰ってきた夫をちらりと見て、
私の心の中がザワザワし始めました。


夫があんなに頑張ったんだから、1匹ぐらいはいるはず。
毎日、仏壇にお祈りしたんだから1匹ぐらいはいるはず。
いるはず。いるはず。いるはず。



しかし、結果は
精子、見つかりませんでした。」
そう先生に告げられました。

精巣の中の全ての管を開いて調べたけれども見つからなかった、とのことでした。
ただ、さらに詳しい病理検査をしているとのことで、
退院後に改めて受診し、その結果を聞くことになりました。

病室に戻ると、夫はだいぶ麻酔から目が覚めてきたようで
「ただいま。喉渇いた。水ちょうだい」
と言い、結果を尋ねてはきませんでした。

それを良いことに、私も結果は告げませんでした。

 

その日、
家に帰って泣きました。
ただただ、ただただ泣きました。

 

今思うと不思議なんですが、
子どもはいらない、と決めていたはずなのに、
崖から突き落とされたような絶望感に支配されていました。

 

そして、夫は翌日「痛い、痛い」と心が弱った状態のためパジャマのまま退院し、
自分の傷口を見ては「傷物になった」と落ち込み、
(昔の大病で既に体のあちこちに手術などの傷跡が大量にあるんですけどね)

その後も「シャワー入りたいけど、しみるかもしれない。痛くなるのやだ」
と大騒ぎし、

「先生からシャワー入って大丈夫っていわれたじゃん。」
と私が宥めながらシャワーを浴びせると
「ちょっと痛い。傷口開いたかもしれない」と怯え、

「じゃ、傷口見てあげるから」と言えば
「傷口見たら、かおる倒れちゃう。そしたら俺どうしたらいいの」と不安がり、
ひたすら怖い怖いと言って
2~3日で復帰できるところ、2週間ほど仕事を休みました。

のろけではないのですが、
夫は常に冷静沈着で物事に動じず、状況判断が早い性格なので、
こんなに弱っている夫を見たのは初めてで、
男性にとって、睾丸の手術とは大変つらい事なんだな、と知りました。

でも、その大騒ぎが私の心を少し救ってくれたような気がします。
検査の結果を聞きにいくまでの束の間の安息でした。

次回は、夫が手術を受けるまでの間に私が受けた検査について書きたいと思います。

夫の検査、私の検査… その1

こんにちは。緑かおるです。
前回、転勤先の病院を紹介された、という話の続きです。 

男性不妊の検査 

夫が紹介された泌尿器科を受診しました。
すぐに精液検査と触診をしたそうです。
触診では睾丸の大きさを測ったり、肛門内の確認があったそうです。

夫の場合は、元気な精子がおらず、
また、睾丸のサイズも小さいため、
無精子症と言われました。


「手術をして精子を探しましょう」


医師から提案されました。

精巣の中には沢山の管がモジャモジャと入っていて、
その中の精子がいそうな太い精細管というものを切って、
精子を探す検査がある、とのことでした。

それはTESE手術というもので、
1匹でもいれば培養して体外受精ができると言われました。

 

ただし手術、しかも全身麻酔での手術ですからリスクもあります。

1時間以上の手術と聞いて、私は尻込みしてしまいました。
夫は大病を経験しているので、
健康な人よりも死亡のリスクが高いと言われたからです。


夫の命をかけてまで子どもが欲しいわけじゃない

 

2泊3日の入院。
自費診療になるので約80万円の入院費。

 

けれど、夫は手術をすることを選びました。

 つづく

生理痛で病院行ったら妊活に… その2

こんにちは。緑かおるです。
前回のつづきです。

期待と母性

夫に付き添ってもらって行った人生2度目の婦人科。
結果は多のう胞卵巣でした。

医師から
「まだ若いし、治療すれば子どもできますよ、大丈夫!」
と満面の笑みで言われました。

 

すぐに夫の既往歴を伝え、子どもは…
と言ったら
「旦那さん、精子いるか調べたことある?え、調べたの昔?
じゃぁ隣が泌尿器科だから今から調べてもらおう!」

あれよあれよという間に夫の検査が始まりました。

婦人科の医師も泌尿器科の医師も、
1匹でもいたら培養して不妊治療できるから、
と私を励ますように言います。

( ゚д゚)ポカーン 状態な私。

診察室のカーテンの向こうから、
夫さんパンツ脱いでー
という医師の声。

その後カーテンの向こうから出てきた夫も

( ゚д゚)ポカーン とした顔。

医師の話では、夫は精子が少ない可能性が高いということでした。
ただ、精子は、精幹細胞から精母細胞が作られ、
精母細胞から精子が作られるため、
睾丸を切って検査をしてみてはどうか、と提案されました。

30代だから早く不妊治療を始めた方が良いと言われましたが、
1ヶ月後に夫が転勤だったので、
今回は転勤先の婦人科の紹介状が欲しい、
と伝えました。

ところが、渡された紹介状は、夫のものでした。
男性不妊の治療で有名な病院で、
その病院から私の治療先が紹介されるようになっている、
と言うのです。

私たち夫婦が不妊治療をするには、
婦人科と泌尿器科の連携が必要だから、とのことでした。

府に落ちないものを感じたけれど、
知り合いから紹介されたということもあり反論もできず、

そしてなにより

大好きな夫との間に子どもができるかもしれない

という期待と少しの母性が反応し、
気がつけば、私は不妊治療に足を踏み入れていました。

 

次回は男性不妊について書きたいと思います。

生理痛で病院行ったら妊活に… その1

こんにちは。緑かおるです。
今回は生理痛から不妊治療に至るまでの話を、2回に分けてお話しします。

 

ほったらかしてた生理痛

私は生理不順に加え生理痛が酷いほうでした。
生理が来るのは、良くて2~3ヶ月に1回。
半年に1回がほとんどでした。


正直、生理って面倒くさいから
「半年に1回で楽~」
なんてのんきに言ってました。

 

でも生理がくると痛くて痛くて、痛み止めを飲んでも寝込む状態。
そして、その状態は年々酷くなっていく一方でした。

 

大学に入った頃、友人から病院に行った方が良いと指摘されました。
そこで友人が通っていた婦人科を受診したら、
健康保険証から婦人科を受診したことが両親にバレて、
妊娠したんじゃないかと疑いをかけられ叱られました。


生理不順と生理痛が辛いんだと訴えたところ、

「生理なんて病気じゃないんだから我慢できるでしょ。
結婚もしていないのに婦人科を受診するなんて、
恥ずかしいからやめてちょうだい。
私も生理痛が酷い方だったけど我慢できたし、
死ぬわけじゃないんだから我慢しなさい。」

と母に言われ、そのまま耐えるしかありませんでした。

いわゆる昭和の根性論です。

 

しかし私が毎回、生理痛にのたうち回っているのを見て、
夫が心配になったのでしょう。
生活が落ち着いた頃、
夫が知人から、生理痛に詳しいという病院を紹介してもらってきました。

もう痛みが限界だったこと、
母が亡くなっていたので、母に気兼ねすることがなかったこと、
震災で遠くに引っ越していたので周りの目を気にしなくて良かったこと、

その状況が私に病院へ足を運ぶ決心をさせました。

 

人生2回目の婦人科受診。
夫に付き添ってもらっての受診。

それが不妊治療に繋がろうとは思いもしていませんでした。

 

つづく